躁鬱らしいよ

躁鬱 セクシャルマイノリティー もうすぐ三十路 悩み迷走中

ブッタをシッタ

なかなか最近は使わないが、

しっくはっく という言葉がある。



調べてみると





ブッタの基本的な


四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する。

根本的な苦を四苦とし、 根本的な四つの思うがままにならないことに加え、

  • 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
  • 怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
  • 求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。



と。



まさに人生それで、苦しんでます。



思う様にいかず、もさくさと。

もがいてます。

もがけばもがくほど溺れてます。





あと、

こんなのも、



般若心経ってこういうやつ

これを今風に現代語訳すると…
source / tumblr

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ。安心しろよ。

この世は空しいモンだ。痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってある。だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減かわかったか?苦しみとか病とか。そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ。苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな。それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ。ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい。細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる。そういうモンなのさ。今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。




いろいろと瞑想(迷走)していると、こんな記事をみた。



すげー!!
すげーよ。


現代文以上に なんてゆうか ラッパー。


ラッパーの歌詞カードみてるみたい。



すごいよね。


納得しようとするが、まだ未熟なのかも。

100パーセントでは受け入れれてないかも。
わかってるけど。

受け入れた と、演じてるだけになるのかも。


素直に受け入れた時
いろいろとわかるのだろうか。


実際に 歳のぶんにわかることだってある。


その、歳になってわかること。


運命と、宿命。


しょうもない小さな事にこだわり、悩み行き詰まり

真の   無   に出会えたら
納得するのかも。